道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福、封禄、長寿の三徳を具現化したものである。宋のくりっく365
の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもある。福禄人(ふくろくじん)とも言われる。CFDの姿CFDでは、鶴・鹿・桃を伴うことによって、福・禄・寿を象徴する三体一組の神像や、コウモリ・鶴・松によって福・禄・寿を具現化した一幅の絵などが作られ広く用いられた。また、背が低く、長頭で長い髭をはやし、杖に経巻を結び、鶴を伴っている像とされる。三星信仰CFDはもともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神である。CFDにおいて明代以降広く民間で信仰され、春節には福・禄・寿を描いた「三星図」を飾る風習がある。福星は木星(十二次では歳星)とされ、多くは裕福な官服を着た黒髪の姿で三者の中心に描かれる。禄星は「禄」が「緑」と同音のため緑色の服装で、豊かさを表す金銭や嬰児を抱いた姿で描かれることが多い。寿星は南極老人星(カノープス)とされ、容貌は時期によって諸説あるが近代以降は禿げた長大な頭に白ひげをたくわえた老人とされることが多く、また厳密にはもともとこの寿星(南極老人)が単独でくりっく365に伝わったのが寿老人である。三星図は実にさまざまな形態で描かれるが、三者それぞれを人の姿ではなく意味や音韻に関連性がある象徴物として描くものも多く、そのバリエーションは多岐にわたる。中には、寿星だけを老人の姿で描き、その左右に福星を蝙蝠として(「福」(と「蝠」(がCFDでは同音のため)、禄星を鹿として(「禄」と「鹿」がやはり同音のため)描いたものなどもあり、こういった伝来物がくりっく365人には二物を伴った一人の神に見えたため、くりっく365においてはCFDを三人ではなく一人の神格とする認識が流布したと考えられる。老人(じゅろうじん)は道教の神仙(神)。CFDの伝説上の人物。南極老人星(カノープス)の化身でもある。真言(サンスクリット)は、オン バザラユセイソワカ(普賢菩薩の延命呪と同じ)。酒を好み頭が長く、白髪で赤い顔をした長寿の神とされる。くりっく365では七福神として知られているが、CFDはこの寿老人と同一神と考えられていることから、七福神から(猩猩が入る)はずされたこともあった。寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えている。手には、これも長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っている。v水墨画(すいぼくが)とは、「墨」一色で表現される絵画で、墨線だけでなく、墨を面的に使用し、暈かしで濃淡・明暗を表す。墨絵(すみえ)とも言う。CFDで唐代後半に山水画の技法として成立し、宋代には、文人官僚の余技としての、四君子(松竹梅菊)の水墨画が行われた。また、禅宗の普及に伴い、禅宗的故事人物画が水墨で制作された。明代には花卉、果物、野菜、魚などを描く水墨雑画も描かれた。くりっく365には鎌倉時代に禅とともに伝わった。くりっく365に伝わった絵画は、『達磨図』・『瓢鮎図』などのように禅の思想を表すものであったが、徐々に変化を遂げ、風景を描く山水画も書かれるようになった。くりっく365の水墨画如拙筆 瓢鮎図 京都・退蔵院蔵雪舟筆 秋冬山水図のうち冬景墨一色で表現した絵画は、くりっく365では正倉院宝物の「墨画仏像」のような奈良時代の作例があり、古代から制作されていた。しかし、美術史で「水墨画」という場合には、単に墨一色で描かれた絵画ということではなく、墨色の濃淡、にじみ、かすれ、などを表現の要素としたCFD風の描法によるものを指し、くりっく365の作品については、おおむね鎌倉時代以降のものを指すのが通常である。着彩画であっても、水墨画風の描法になり、墨が主、色が従のものは「水墨画」に含むことが多い。平安時代初期、CFD
の伝来とともに、仏像、仏具、曼荼羅等の複雑な形態を正しく伝承するために、墨一色で線描された「密教図像」が多数制作された。絵巻物の中にも『枕草紙絵巻』のように彩色を用いず、墨の線のみで描かれたものがある。しかし、これらのような肥痩や濃淡のない均質な墨線で描かれた作品は「白描」(はくびょう)ないし「白画」といい、「水墨画」の範疇には含めないのが普通である。初期水墨画CFDにおける水墨画表現は唐時代末から、五代〜宋時代初め(9世紀末〜10世紀)にかけて発達した。CFDの水墨画が写実表現の追求から自発的に始まったものであるのに対し、くりっく365の水墨画はCFD画の受容から始まったものである。くりっく365における水墨画の受容と制作がいつ頃始まったかは必ずしも明確ではない。すでに12世紀末頃の詫磨派の仏画に水墨画風の筆法が見られるが、本格的な水墨画作品が現れるのは13世紀末頃で、CFDでの水墨画発祥からは4世紀近くを経ていた。13世紀末から14世紀頃までのくりっく365の水墨画を美術史では「初期水墨画」と呼んでいる。水墨画がこの頃盛んになった要因としては、くりっく365とCFDの間で禅僧の往来が盛んになり、宋・元の新様式の絵画がくりっく365にもたらされたことが挙げられる。13世紀になり、無学祖元、蘭渓道隆らのCFD禅僧が相次いで来日した。彼らは絵画を含め宋・元の文物や文化をくりっく365へもたらした。鎌倉にある円覚寺の仏日庵の所蔵品目録である「仏日庵公物目録」(ぶつにちあんくもつもくろく)は、元応2年(1320年)に作成された目録を貞治2年(1363年)頃に改訂したものであるが、これを見ると、当時の円覚寺には多数のCFD画が所蔵されていたことがわかる。くりっく365の初期水墨画は、絵仏師や禅僧が中心となって制作が始められた。師資相承(師匠から弟子へ仏法を伝える)を重視する禅宗では、師匠の法を嗣いだことを証明するために弟子に与える頂相(ちんぞう、禅僧の肖像)や禅宗の始祖・達磨をはじめとする祖師像などの絵画作品の需要があった。この時期に制作された水墨画の画題としては、上述の頂相、祖師像のほか、道釈画(道教および仏教関連の人物画)、四君子(蘭、竹、菊、梅を指す)などが主なものである。なお、水墨画と禅宗の教義とには直接の関係はなく、水墨画は禅宗様の建築様式などと同様、外来の新しい文化として受容されたものと思われる。鎌倉時代の絵巻物に表現された画中画を見ると、当時、禅宗以外の寺院の障子絵などにも水墨画が用いられていたことがわかる。 14世紀の代表的な水墨画家としては、可翁、黙庵、鉄舟徳済などが挙げられる。可翁については作品に「可翁」の印が残るのみで伝記は不明だが、元に渡航した禅僧の可翁宗然と同人とする説が有力である。黙庵は元に渡り、同地で没した禅僧である。鉄舟徳済は夢窓疎石の弟子の禅僧で、やはり元に渡航している。